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無事です。ありがとう。

Category : 彩紀@携帯
なんとか無事です。生きています。
たくさんの安否確認メール,電話,どうもありがとう。

この数日いろんな事がありすぎて、あっという間でした。
人生で初めて『死ぬかも』と思いました。

ちゃんと記録に、ちゃんと記憶に残さなきゃと思って
今日までの事を書こうと思います。

アタシの住んでいる所は利府町というところです。
地盤がかたく、海からもそう近くない場所だったので
ライフラインが止まったくらいで,現在は自宅で生活できています。
電気や水のありがたさを改めて感じました。
兄弟や親戚、たくさんの友人の大切さを改めて感じました。
ベビも地震の時にはさすがに驚いたようで
じっとアタシを見つめ静かにしていました。
次の日になるまで笑顔が出ず本当に心配しました。
今は元気で、16日に無事9ヶ月を迎え,ハイハイができるようになりました。

地震の時、ベビは午後のお昼寝中で
アタシは横で夕方の離乳食のメニューを考えていました。
数日前にも何度か地震があったりしてたので嫌な予感がして、
リュックにベビの必要なものを入れ用意をしていました。
今思えばよく準備してたなぁと思います。
揺れた直後に一瞬で、
お昼寝で脱がせていたくつ下とトレーナーをつかみリュックに入れ
ベビとアタシのダウンジャケットとエルゴを持ち
リュックをしょってベビを抱き上げ一階に降りました。
部屋をでたとたん中のものがすごい勢いで倒れてきました。
下に降りても揺れが止まず,すぐ外へでました。
人の叫ぶ声が聞こえ、防災無線では
津波がくるので高台に逃げるようアナウンス。
10mの津波がくると言っていて正直信じられなかった。
そう遠くない空にはすごく黒い煙。
マンガや映画でしか見たことなかった現象。
多賀城の石油会社の大火事だと翌日になって知りました。
電気がすぐ切れたため,テレビから情報を得ることができず
翌日、驚くことにちゃんと通常通り配達された新聞で
地震の全容を知り愕然。
実家のある石巻。前職場のある南三陸町。
どちらも街自体が変わり果てた姿になっていて言葉がでない。
アタシの所は、14日早朝にまず電気が復旧。
16日夜には電話回線も復旧。
ウチはオール電化でガスは使っていないので,あとは水道のみという状況。
他の地域にくらべれば十分すぎるくらいです。
店舗がやっていないけれど,家の前のヨークは店にある在庫を出してくれてて、
一人で買える品数は限られているけど並べばなんとか購入できます。
お米はあり電気がつかえるのでご飯が食べられるから食料は大丈夫。

石巻の両親とは一切連絡が取れず,
色々手を尽くして何とか自宅二階にいるようだとの情報を入手したのが
地震発生から4日目の夜。
翌日15日には父母からメールがきて、その後電話が繋がりました。
父は偶然仕事が休みだったらしく自宅で被災。
仕事に行っていた母が心配で避難せず、
母が帰ってくるのを信じて,
3日間一階は浸水している自宅二階で待っていたそう。
母は職場で被災。
海のそばに会社があるためすぐ日和山に避難。
その後、石巻高校へ移動したそう。
父が心配で家に帰してほしいと言うが
自宅付近は大人の首あたりまで水があるから無理と言われたそう。
翌日また返してほしいというが却下され、
それならば自宅の付近の人が避難している
山下小学校に行かせてほしいと頼むと
会社の男の人二人をつけていけと言ってもらい探しに行ったが父はいなかった。
この日、職場の男性職員が屋根などを伝い
会社のロッカーからなんとかみんなの携帯と上着を持ってきてくれたそう。
テレビで母の職場が写っていたけれど、とてもそんな簡単に行ける場所ではなく
その男性職員の方々の勇気に脱帽です。
持ってきてくれた携帯の中には,使えなくなったものが山ほどあった中
母の携帯は無事使えたが一切繋がらず。
結局、その日はまた石巻高校へ戻り夜を明かし、
翌日やっと自宅に歩いて帰してもらえ、父と再会できたとの事。
ご近所さんのご好意でなんとか携帯を充電してもらい
やっと地震から5日目に私へ連絡がついた。
父は心臓に持病があり,寒さ厳しい中でよく自宅で母を待ってくれたと思う。
別々に被災して無事に再会できたのは,本当に奇跡です。
16日、取りあえず心配でアタシはダンナと石巻へ。

45号線が使えないと言う事で,
大郷,鹿島台を経由して,大街道から町の中へ。
町へ入った途端に,言葉は一切出ず,ただただ涙が流れるだけでした。
見たことのないものが見たことのないようなところに投げ出されており,
そこにあるべきものがなく,そこにないものがある。
人はみんな長靴で手にたくさんの荷物や棒を持ってひたすら歩く。
道路は黒。黒い泥の砂。
何も考えられませんでした。
なんとか無事に自宅前まで車で行きつくことができ,両親と再会。
本当によかった。生きていてくれてよかった。
強い地震のあと,たくさんの物が倒れ,
その後に浸水したということでほぼ家の中のものは全滅。
現在は二階でかろうじて過ごせているようだった。
連れて帰りたかったのだけれども,
自分たちだけ行くわけにはいかない。ここを離れられないと言ってきかず,
一応持っていた食べ物や衣類,ストーブなどを置いて自分たちだけ帰ってきた。

18日,以前一緒に働いていた同僚の名前を避難者名簿で発見。
避難所にいるのであれば…と,
それまで送りたくてもがまんしていたメールを送ることに。
返事が返ってきて,教え子と教員が亡くなった事実を聞く。
生きていることが奇跡なのだと言っていた同僚の言葉が改めて身にしみました。
月例会のメンバーも全員無事と確認。ほっとしました。

自分がこんな目にあうなんて。誰もがそう思っていたはず。
アタシもそうでした。
当たり前の事が当たり前じゃなくなるのなんて一瞬。
失ったものが多かったけど,そんな中,意外にも得たものも多かった。
電気が復旧してもテレビを観たくなかったし,
食べられない家族や友人を思うとご飯を食べることに罪悪感を感じた。
そんな中,アタシを救ってくれたのはベビです。
ベビの存在に助けられ,その笑顔に励まされ,今日までやってこれました。
ダンナの職場が避難所になっており,
泊まりを余儀なくされ,余震におびえながら二人で過ごした夜もあったけど
1週間たち,少しは眠れるようになりました。
ただ,いまだ洋服を着て寝ています。

いつの日か,笑ってこんなことがあったよね。って話せるようになる日がくるんでしょうか。
こんなにがんばっているのに,あとは何をがんばればいいんだろう。
そう思いながら自分よりも大変な人たちがたくさんいるんだと反省もさせられる。
日々葛藤,日々試練,です。

彩紀はがんばります!
心配してくれてありがとう。アタシは大丈夫です。
いつかまた笑って再会できるのを楽しみにしてるからね!
コメント送ってくれたり,メールくれたり,電話くれたり,
本当に励まされました。ありがとね。
これからもよろしくお願いします。



被災したみなさん,みんなで一緒にがんばろうね!!



2011.3.19  彩紀
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震災被害については,個人的な感想日記です。
ご批判,辛口は申し訳ありませんがご遠慮ください。
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Comment

彩紀!

かつと心配してたけど
無事で安堵いたしました。
落ち着いた頃にデンワしまーす。

昨日から、石巻の銘酒日高見を飲んでまつ。
うまー!

>べる

ご心配かけました。
無事に生きてます。

かつとはしばらく連絡を取ってなかったんだけど
元気なのかな。いわきも大変なんじゃ?
ツイッターはやってなくて,よくわかんなくて。
よろしく伝えてね。
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